かあちゃんの裏側

50を越えたオバサンが、子育てやら人生やら喋ります。

認知凸凹とは

数日おきに、ぼちぼち公開していこうと思っておりますかあちゃんの裏側です。
閲覧ありがとうございます。
今回は、前記事に書いた娘の心理検査の結果などから、[認知の凸凹]についてお話ししようと思います。

娘の心理検査の結果

前の記事思春期の子育て 我が家の場合 - かあちゃんの裏側に書いたような経過で、中学生の娘に心理検査を受けさせました。
臨床心理士の診断結果は、[数値は問題無い範囲だが、検査の過程で所見有り]でした。
心理検査の結果は書面で渡されず、口頭で「こんな感じです」と話された言葉を、こちらが「それはこんな感じですか?」と確認していったので、症状や状態を表す端的な言葉は分かりません。
診断名は付いていませんが、日常生活に多少の支障が有るので、[発達障害グレーゾーンの中に含まれる]でいいのかなと思っています。

所見の内容は、抽象的な表現になりますが、
・あいまいな言葉や問題の意図を、理解する力が弱いようである。
・複数の認知できている物事の間の関連が分からない。逆に、関連の無い物事を関連付けて考えて、間違うこともある。
・自分の興味がある物を見ると、大切な言葉も聞こえなくなる様子が伺える。
・注意の向け方にばらつきがあり、簡単な問題を間違えて難しい問題を正答する。
…といった感じです。

娘の頭の中を想像してみる

このような所見が出てくる娘の頭の中を、私は昔の自分の頭の中に思い出すことができます。

世の中は不透明で現実感が無く、
手探りで身の周りを理解するのだけど、
突然理解できた事柄は、既知の事柄のどれとどう関連付くのか判らないので放置し、
自分の状態も解らないし、周りも理解できないので、不安や焦りは少ない。

これは中学生くらいまでの私の頭の中です。
小学校就学前の幼児の感覚に近いのでしょうか。

当時の自分が、このような認識で自分の頭の中を捉えていたわけではありません。
この表現は、40歳近くなってから自分を見つめた時に言葉にした(認識した)ものです。
以下に、インプットとアウトプットに分けて説明します。

インプット

分からない事だらけの世の中から突然理解できた事柄が有ると嬉しいだけで、ほかの分からない事柄がどれくらいあるのかを想像して不安になることはありませんでした。
いや、流石に中学では、自分だけが知らない事がチラホラ出てきていました。恥ずかしい思いもしました。
当時は自分の気持ちも不透明な液の向こうなので、危機感を感じていなかっただけです。

何かに気をとられて大切な話を聞いていなかったことは、有ったのだろうと思います。
一度、中学校の勧めで聴力検査を受けたことがあります。

アウトプット

考えた事を、そのまま口にしたり行動してしまうのは、幼児のようだったと思います。
インプットのほうでも書いたように、自分の感情すら掴めなかったので、他人の気持ちを関連付けて想像することが出来ず、情緒に欠けた言動を発してしまいました。
他の子を傷つけたこともありますし、クラス中から嫌われました。
嫌われることは不快でしたが、自分の言動を直さなくてはならないと身に染みるには至らず、仕方ないものだと受けとめていました。

[井の中の蛙、大海を知らず]と言いますが、当時の私の井戸は、自分自身だったような感じです。

これから娘の頭の中に必要なこと

自分が認識していた世の中が、他人が認識している世の中と著しく違っていて、更に実際の世の中ともかけ離れていることに気付いてから、私は泣きながら努力しました。
自然な認知がどのように行われるのか私は知りませんが、物事を認識しようと強く意識して、忘れないように強く意識して、一つ獲得しては既知の知識と照合して、関連を探り、全体像を探りました。
目の見えない方が、手探りで物を認識していく姿に似ているでしょうか。
この努力の過程で、自分は記憶する力もとても弱いことに気付きましたので、覚える努力も必要でした。
(つまらなく意味の無い事は、頭にこびりついていたりもするのですが。)
認知の回数を重ねれば、物事を最初に認識する点を絞れてきますし、関連付けができてくると、全体像を見ることができます。
物事の全体像が掴めるようになってくると、その認識を整理しておく棚を頭の中に作ることができます。
パソコンのハードディスクをフォーマットしてからデータを入れる…という作業を、逆にやる感じです。
頭の中の棚作りを何度かやっていると、先に棚を作っておくことができることもあります。

こうして私は認知能力を学習しましたが、どの程度の認知能力が必要十分なのかは分かりません。
ただ、私はこの努力に相当な年数がかかりました。
でも、獲得しなくてはならない能力だと思っています。

娘へのアプローチ

私の中学の頃と、今の娘の頭の中とは、違う部分も有るとは思います。
でも多分、物事の認知についてはかなり似ていて、私と同じように、意識して物事を認知する努力が必要だろうと思います。

そのためには、娘が、自分自身という井戸の中の蛙だとして言えば、本人が井戸から出ようと思わない限り、始まらないようです。
親としてどうすれば良いのか悩み、臨床心理士に相談しても、そのように言われました。

私が自分自身という井戸から出た(自分の認知のちぐはぐさに気付いた)のは、働き始めてからでした。
臨床心理士によると、本格的な就職でなくても、アルバイト等で気付くこともあるそうです。
しかし、気付かないままで終わる人も居ます。私の母や私の兄弟が、そうです。
娘へのアプローチは、意固地にさせないように注意をはらわなくてはならない割りに、ほとんど届きませんが、「放っておいても、その内理解する」と楽観することはできません。

無駄と思いつつ、娘へのアプローチを続けています。