かあちゃんの裏側

50を越えたオバサンが、子育てやら人生やら喋ります。

"昔は皆、子どもに寛容だった"について

相変わらず認知凸凹娘に振り回される日々の中、精神科の先生が書かれた本を読んで少し落ちている。



ご高齢とは言えないかもしれないが、明らかに私よりお歳を召してて、かつ専門家としてひとかどの方の書かれた本なので、何か我が家の現状を改善できる策が見つかるかと思って読んでいる本のうちの一冊。
曰く、
「昔は、乱暴者であったりおっちょこちょいだったりする子は、クラスに必ず一人や二人は居たものだ。それでも、今のように皆と合わせるように矯正しようとする大人など居なかった。どうして今の社会はそういった個性豊かな子どもを受け容れることができないのか。」

多分、50歳台の私は、この文中の「今の社会」の内に入るのだろうと思う。著者の先生は私の親の世代の少し下だと思う。
精神科の中でも、薬による治療よりもこころの動きを重視すると仰るこの先生なぜ、昔の親世代が放置した問題が今になって顕在化していることに目を向けようとしないのか。
私の親も、ちょっと変わった子、我の強い子の一人と一人だっただろう。自分の生きたいように生きて、産んだら育てなきゃならないことを考えずに子どもを産んで、今に至るまで自分優先で生きている。ゴミ屋敷で無職の息子と一緒に、世間を蔑んで恨んで生きている。逃げ出した私は、生き抜くために苦しんで考えながら生きている。

「昔は良かった」ではない。昔、感覚過敏であったり認知が不得手である子が、もがいて暴れる様を放置して大人にさせてしまったから、今の社会がある。暴れる子・ミスの多い子の周りの大人が、その子にに器質的な問題が有ることに気付いて、自分の感覚が自分以外の人間とどう違うのか気付かせる療育体制を早く構築しなかったから、今になっている。

人生の中で学問に没頭できる時間が取れた先生の周りには、生き延びるために何でもしなけりゃならない人間なんて、気配も無いのだろう。キレイなキレイな狭い世間だけ見て、懐古に浸るのは、老害に近いな。