かあちゃんの裏側

50を越えたオバサンが、子育てやら人生やら喋ります。

自分のミスが許せない

だいぶ久しぶりの投稿です。
今回は気持ちのまま書いてしまっているので、語尾が乱暴です。




自分のミスが許せない。
だから娘のミスも許せない。

娘はうっかり者。発達障害グレー。
「うっかりをとがめず、ハードルを下げて、広い心でサポートしましょう」と、本に書いてあった。
だから娘のミスをとがめないよう努めているけど、サポートする私自身のミスは、やっぱりモヤモヤする。


今日の事態

会社携帯忘れて出勤。

落ち込むし調子狂う。

家に帰っても、自分の事で精一杯。

娘の塾が、冬期講習で早始まりだった事に気付かず、塾から電話が来てから慌てて出発させた。

受験生の娘、1コマ分の授業をふいにした。


グレーの親の苦悩

うっかり者の親は、うっかり者じゃダメ。
だってうっかり者をサポートする余裕が無きゃならない。
だってどんなアクシデントが有ったって、それを子どもの事にまで影響させちゃいけない。
今日は小さなミスの連鎖だったけど、これからも小さなミスで済むとは限らないから。
自分のミスは自分が謝って対応していく(自分で抱え込む意味ではなく)から良いけど、
娘のミスは、「本人に反省を促して自分で対応できるようにする」が出来ないなら、親がサポートしなくてはならない。


周りに謝るのは別にいいけど、ミス自体やミスへの対応が、今後に全く生かされず繰り返されるのがむなしい。
「もったいない。」
「無駄になった。」
と、感じる。


私もグレーだからなのか

私がミスを引きずってしまうのは何故だろう。
私が自分のミスを許せないのは何故だろう。


娘は引きずらない。
ミスをしても平気で、ミスを繰り返す。


私はそんな娘が許せなくて、たいそう強く叱っていたから、娘は時々奇妙なところで「怒られるから、絶対、嫌」と、拒否する。
話を聞くと、叱り過ぎたなとも思うが、そこじゃないんだとも思う。
結局、ミスを叱っても、対策につながらないことが分かる。


私も、うっかりした時に親に叱られていたのかは、わからない。
認知が凸凹だったから、信じられないような奇行はやらかしていたと思う。
世の中がはっきり見えたのは働き始めてから。
沢山のミスを指摘されたし、迷惑をかけたり、大損したりした。
でも、自分のミスを、強く恥ずかしいと感じるのは、元々の気質ではないかと思う。
誰かに怒られたから、怖いから、ミスが嫌なのではなく、強く強く残念だと感じるから。


ミスを許したらどうなのか

ミスを引きずらなかったら、楽になるだろうか。
自分のミスに再発防止策を講じることなく許せたら、私は楽になるだろうか。
再度同じミスをしても、楽しく笑えるだろうか。


ミスをいつまでも気にするか、ミスしても気にせず忘れるか、それは両極端ではだめで、ほどほどの「丁度いい」所を探さなくてはならない問題なのかもしれない。


または、「自分自身の人格」の問題ではなく、人間一般の「ヒューマンエラー」の問題と捉えて対策を考えるという、切り離しが必要なのかもしれない。









Twitterに書き込もうとして長文になったのでブログに書いたが、TLを読み始めたら時間を溶かすところだった。
そうやって、忘れていくのが当たり前なのかもしれない。
…それじゃだめだよね。