かあちゃんの裏側

50を越えたオバサンが、子育てやら人生やら喋ります。

認知凸凹娘が発達障害の友達に思う事

また更新が遅くなりました。
パートに慣れるまで、目標を「2週間に1回は更新!」にしておきます(^_^;)

お友達の発達障害を知った時

前回、私の娘の友達にはコミュニケーションに問題を抱えがちな子が多いことを書きました。(認知凸凹娘の友達 - かあちゃんの裏側)
その中には、発達障害の診断を受けている子も居るそうです。
私の娘の診断は、本人に詳しく伝えてはいません。検査をした心理士に、良い事だけを伝えるように指導されているからです。
診断を受けた友達は、学校でも「私、○○なんだ。だから相手の気持ちを分からなくて嫌われちゃうことがあるの。」と、公表しているそうです。
診断名○○は、娘が私に教えなかったせいでわかりませんが、娘も忘れてしまったそうです。
その子の話を娘から聞いたのは、私の娘の心理検査を待っている期間だった気がしますが、心中穏やかにならないまま、その事をどう思うのか、娘に聞いてみました。


「で?」

…だそうです。

「分かってるなら、対策すれば良いのに!」

だそうです。


『いや、あんたもな。
てか、対策出来ないから診断付いたんだよ。
対策できるはずのアンタが出来ないのに、何を言う?』
って、親(私達夫婦)だけで言いました。

認知凸凹娘は、周りが理解出来ない子でした。





実は別の記事を書いてましたが、落ち着き処が見いだせなかったので差し替えました。
今回の話には後日談が出来ました。
内容が上手くまとまったら、改めて記事にします。

認知凸凹娘の友達

数日おきに更新したいと言いつつ、新しいパート先の仕事を覚えるのに精一杯で、ブログの更新が途絶えていました。申し訳ありません。

閲覧ありがとうございます。今回は、同級生を傷つけた時の娘の頭の中について、考えてみようと思います。

違和感を感じても、忘れる

私達の娘は、認知が凸凹(認知凸凹とは - かあちゃんの裏側)なために、小学校の高学年位になると友達と話が合わないようになってきて、半笑いで避けられたり、独りぼっちになっていたそうです。
独りぼっちになることや、陰口・悪口を言われるのが辛くて、娘が編み出したサバイバルは
[誰かと話していて、話が変だと思っても、気にせずすぐ忘れる。思い出さずに、蓄積しない。]というものでした。

この方法で、当面、仲間外れにされようと、悪口言われようと、絶望や怒りを溜めずに過ごせたため、
娘は忘却することを肯定したようです。

しかし、元々、記憶する事と記憶しない事のばらつきが激しい娘が、積極的に忘却するのですから、勉強は全く分からなくなったようです。
この後、学校の成績はどんどん下がっていきました。

友達にはひたすら同調する

更に中学では、独りぼっちへの恐怖から、話の中身が解らなくても、その場の友達の会話に合わせることを最優先にしたため、友達の話が誰かを傷つける内容だったとしても、批判せずに同意していたようです。
認知凸凹で世の中が分からない事ばかりだと、相手の話の中身をよく考える余裕が作れないようです。
これが、同級生を傷つけた(娘が同級生を傷つけた - かあちゃんの裏側)大きな原因だろうと思います。

その場しのぎの対応の果て

上記の対応を身につけたためか、[何を話しても怒ったり根に持ったりせず聞いてくれて、話を合わせてくれる子]として、メンヘラ・斑登校・元不登校など、コミュニケーションに問題を抱えがちな子が「(娘)ちゃんだけが友達~」と言って寄ってくるようになったようです。

そうして娘は、
・自分の思い通りにならないと我慢来ず、怒鳴ったり暴れる子をなだめる。
・仲間内で板挟みに苦しむ。
・友達への返信が遅れると「私が嫌いなら、死んであげる」とか言われて、ビビりながら付き合う。
などの思いをしつつ、友達づきあいをしているようです。

親としては、なにもそんな思いをしてまで友達づきあいしなくても良いのではないかと思うのですが、より辛い経験をしない限りは、娘の優先順位は変わらないでしょう。

友達づきあいの功罪

友達づきあいの経験は、他者から見た自分を知る機会や、家族以外の人間との距離の取り方を知る機会を与えてくれますが、同調する対象・しがみつく対象として付き合うなら、それは叶わないような気がします。

臨床心理士から、認知の凸凹がある子が自分の状態に気づくのは、本人以外の外部からどんなアプローチをするべきかではなく、本人が気づくのを待つしかない、と、言われました。
しかし、このまま娘の気持ちの流されように任せていては、いけないような気がするのです。

娘が同級生を傷つけた

閲覧ありがとうございます。
今日は、娘に心理検査を受けさせるきっかけになった事件
思春期の子育て 我が家の場合 - かあちゃんの裏側
について、書こうと思います。


事件の経緯

ある日の学校の班活動の中で、話し合いに参加しない数名に、娘を含む残りの女子数名が注意しました。
軽い注意で効果があるはずもなく、だんだん注意の言葉が険しくなる中、ふざけていた女の子はだんだん注意する側に付いて、男の子一人だけがふざける側に残ってしまいました。
こうなると、女子対男子の意地の張り合いが加わり、言葉はエスカレートします。
ついに、女子側から「お前なんか学校に来るな」という言葉が出ます。女子は口々に言います。娘も言います。誰が最初に言ったのかは分かりません。私達の娘かもしれません。

翌日、その男の子は学校を休んでしまいました。
「学校に来るなと言われたから」という理由で。
学校の先生は、その男の子の班の中の女子数名を呼び出し、事情を聞きました。
そして、親への連絡が行われ、私と夫が知るに至りました。


事件の背景

休んだ男の子は、クラスの男の子達からからかわれたり、部活で問題が有ったりして、時々学校を休むことが有ったそうです。
今回休んだ後も、学校に来たり来なかったりしていたようです。


そして、男の子に乱暴な言葉を浴びせた女の子のうち、私の娘以外の子は、男の子と出身小学校も部活も同じでした。


娘の頭の中

女の子たちに対して

この事件を知った後の私達夫婦が、娘に問い詰めて知った話ですが、私の娘は、小学校高学年からは友達がいない状態だったようです。
中学校に入ってからは、友達が欲しくて、声をかけてくれた子に話を合わせることに集中したようです。
娘は、女の子達のコミュニケーションに合わせることしか考えられず、今回の事件では、その子達とその男の子の関係性が有るからこその、乱暴な言葉の応酬だということは、思いもよらないようで理解もできないようでした。
「お友達の○○ちゃんが言うのは良くて、私が言ったら悪いの?」という自他の区別への無理解は、まさに未就学児のそれです。

休んだ男の子に対して

娘は、日頃から周囲の子にからかわれているその男の子が、[楽しんでいる]と、思っていたようです。
からかいの言葉が「死ね!」であっても笑っているし、ばい菌扱いされても「ホラホラ菌を付けるぞ~!」と、追いかけているし、と。
私が中学生の頃、クラス中から嫌われた時、その男の子と同じように意地になって高笑いしたことがある―という話も、娘には理解出来なかったようです。
この、絶望を感じるほどの他人の気持ちへの無理解は、私達夫婦の、今までの子育てのすべてを否定しているように思えました。


親として出来ること

私達の娘の考えは、中学生としてあるまじき幼い発想です。
男の子にとって、幼なじみでもない子から「学校に来るな」と言われたのは、強い悪意を感じただろうと思います。
然るべき謝罪と弁明を、直接言わせたかったのですが、どう説明しても娘に理解させることができなかったので、親から親に宛ててお詫び状を書き、学校で先生の前で男の子に渡すように言って、娘に持たせました。
学校では、先生が謝罪の場を用意していましたが、ただ「ごめんなさい」と言うだけだったようです。
お詫び状のことは忘れていたのか、謝罪の後、先生が居ない所で男の子に渡したそうです。
男の子の親や先生からは、何も連絡はありません。
一年以上経ちますが、まだ怒っているのかもしれません。
先生には、お詫び状の話をしていないので、その後の話を聞くこともしていません。
もしかしたら、男の子の親には届いていないのかもしれません。

娘に対しては、驚くほど幼い思考のまま思春期まで成長してしまっているので、どこがどう幼いままなのか、これからどのように育てていけば良いのか、専門家に診断してもらって対策しなければならないことを強く感じました。


その後

子ども同士の、些細な言葉のあやだと思ってしまえば、娘の異常を見過ごしたと思います。
何を考えて行動したのか聞くことができたのは、良かったと思います。

でも、相手の男の子と親に対しては、私達には謝ることしかできません。
親が娘の状態を説明したところで、男の子が傷付いたこととは無関係です。

今度、先生に聞いてみようと思います。

認知凸凹とは

数日おきに、ぼちぼち公開していこうと思っておりますかあちゃんの裏側です。
閲覧ありがとうございます。
今回は、前記事に書いた娘の心理検査の結果などから、[認知の凸凹]についてお話ししようと思います。

娘の心理検査の結果

前の記事思春期の子育て 我が家の場合 - かあちゃんの裏側に書いたような経過で、中学生の娘に心理検査を受けさせました。
臨床心理士の診断結果は、[数値は問題無い範囲だが、検査の過程で所見有り]でした。
心理検査の結果は書面で渡されず、口頭で「こんな感じです」と話された言葉を、こちらが「それはこんな感じですか?」と確認していったので、症状や状態を表す端的な言葉は分かりません。
診断名は付いていませんが、日常生活に多少の支障が有るので、[発達障害グレーゾーンの中に含まれる]でいいのかなと思っています。

所見の内容は、抽象的な表現になりますが、
・あいまいな言葉や問題の意図を、理解する力が弱いようである。
・複数の認知できている物事の間の関連が分からない。逆に、関連の無い物事を関連付けて考えて、間違うこともある。
・自分の興味がある物を見ると、大切な言葉も聞こえなくなる様子が伺える。
・注意の向け方にばらつきがあり、簡単な問題を間違えて難しい問題を正答する。
…といった感じです。

娘の頭の中を想像してみる

このような所見が出てくる娘の頭の中を、私は昔の自分の頭の中に思い出すことができます。

世の中は不透明で現実感が無く、
手探りで身の周りを理解するのだけど、
突然理解できた事柄は、既知の事柄のどれとどう関連付くのか判らないので放置し、
自分の状態も解らないし、周りも理解できないので、不安や焦りは少ない。

これは中学生くらいまでの私の頭の中です。
小学校就学前の幼児の感覚に近いのでしょうか。

当時の自分が、このような認識で自分の頭の中を捉えていたわけではありません。
この表現は、40歳近くなってから自分を見つめた時に言葉にした(認識した)ものです。
以下に、インプットとアウトプットに分けて説明します。

インプット

分からない事だらけの世の中から突然理解できた事柄が有ると嬉しいだけで、ほかの分からない事柄がどれくらいあるのかを想像して不安になることはありませんでした。
いや、流石に中学では、自分だけが知らない事がチラホラ出てきていました。恥ずかしい思いもしました。
当時は自分の気持ちも不透明な液の向こうなので、危機感を感じていなかっただけです。

何かに気をとられて大切な話を聞いていなかったことは、有ったのだろうと思います。
一度、中学校の勧めで聴力検査を受けたことがあります。

アウトプット

考えた事を、そのまま口にしたり行動してしまうのは、幼児のようだったと思います。
インプットのほうでも書いたように、自分の感情すら掴めなかったので、他人の気持ちを関連付けて想像することが出来ず、情緒に欠けた言動を発してしまいました。
他の子を傷つけたこともありますし、クラス中から嫌われました。
嫌われることは不快でしたが、自分の言動を直さなくてはならないと身に染みるには至らず、仕方ないものだと受けとめていました。

[井の中の蛙、大海を知らず]と言いますが、当時の私の井戸は、自分自身だったような感じです。

これから娘の頭の中に必要なこと

自分が認識していた世の中が、他人が認識している世の中と著しく違っていて、更に実際の世の中ともかけ離れていることに気付いてから、私は泣きながら努力しました。
自然な認知がどのように行われるのか私は知りませんが、物事を認識しようと強く意識して、忘れないように強く意識して、一つ獲得しては既知の知識と照合して、関連を探り、全体像を探りました。
目の見えない方が、手探りで物を認識していく姿に似ているでしょうか。
この努力の過程で、自分は記憶する力もとても弱いことに気付きましたので、覚える努力も必要でした。
(つまらなく意味の無い事は、頭にこびりついていたりもするのですが。)
認知の回数を重ねれば、物事を最初に認識する点を絞れてきますし、関連付けができてくると、全体像を見ることができます。
物事の全体像が掴めるようになってくると、その認識を整理しておく棚を頭の中に作ることができます。
パソコンのハードディスクをフォーマットしてからデータを入れる…という作業を、逆にやる感じです。
頭の中の棚作りを何度かやっていると、先に棚を作っておくことができることもあります。

こうして私は認知能力を学習しましたが、どの程度の認知能力が必要十分なのかは分かりません。
ただ、私はこの努力に相当な年数がかかりました。
でも、獲得しなくてはならない能力だと思っています。

娘へのアプローチ

私の中学の頃と、今の娘の頭の中とは、違う部分も有るとは思います。
でも多分、物事の認知についてはかなり似ていて、私と同じように、意識して物事を認知する努力が必要だろうと思います。

そのためには、娘が、自分自身という井戸の中の蛙だとして言えば、本人が井戸から出ようと思わない限り、始まらないようです。
親としてどうすれば良いのか悩み、臨床心理士に相談しても、そのように言われました。

私が自分自身という井戸から出た(自分の認知のちぐはぐさに気付いた)のは、働き始めてからでした。
臨床心理士によると、本格的な就職でなくても、アルバイト等で気付くこともあるそうです。
しかし、気付かないままで終わる人も居ます。私の母や私の兄弟が、そうです。
娘へのアプローチは、意固地にさせないように注意をはらわなくてはならない割りに、ほとんど届きませんが、「放っておいても、その内理解する」と楽観することはできません。

無駄と思いつつ、娘へのアプローチを続けています。

思春期の子育て 我が家の場合

ブログの初記事は、この先沢山出てくるであろう子育てについて、一人娘に心理検査を受けさせるまでのお話しからしようと思います。

娘に話が通じない

現在中学生の私の娘の、言動に違和感を感じ始めたのは、小学校高学年の頃だと思います。
当時、パートが忙しくて家にも仕事を持ち帰り、イライラして心の余裕が無かった私は、娘への「注意」が「怒号による長時間の説教」になってしまうことが多かったと思います。
いくら言っても娘が話を聞いていないことがわかるから余計に、私の怒りが吹き上がるのです。
ある漫画に「説教中の息子は、宇宙と交信している」という表現がありましたが、そんな感じです。
私と目を会わせていても、どんなに話をかみ砕いたり例えに乗せても、聞き流す。
[怒鳴っちゃイカン]と思って、静かに、論理的に話したとしてもです。

これは、私の叱り方が悪かったせいなのですが、叱り方を直せば解決する問題でもありませんでした。
それでも「直さなくてはならない所は直さなくては!」と、必死になる私を、夫はヒステリーだと思っていたようです。

夫も娘との意思疎通困難に気付く

娘が中学に上がって、勉強の成績が明確に表されるようになると、さすがに夫も娘の学習がどうなっているのか心配するようになりました。
腰が抜けるかと思うほどの、低い点数・成績を取ってくるのです。
[ルールを守らない男の子に注意して、クソババ呼ばわりされる][絶対学校を休みたがらない。係の仕事などは積極的にする]という極端な真面目さも有る子でしたが、成績は下がるばかりでした。
夫が娘と話しても、ちぐはぐな回答だったり「分かりません」が返ってくるので、夫も私が訴えていた困りゴトを少しずつわかってきたようです。

初めて学校に呼び出される・ 心理検査受診を決意

そんな時、[娘が同級生に暴言をはき、相手の子が学校を休んでしまう]という事件が起きました。
私たち夫婦は、娘の言葉がいかに相手を傷つけたものなのかを理解させようとしましたが、娘には通じませんでした。(別の記事に詳しく書きます)
本を読んだり、カウンセラーと相談していましたが、更に事件を起こしたため、ついに心理検査を受けさせることにしました。
心理検査の申し込みから結果を聞くまではかなりの期間がかかりましたが、[数値は問題無い範囲だが、検査の過程で所見有り]という診断でした。
いわゆる、「発達障害のグレーゾーン」に位置するのだろうと思います。
(所見の内容などについては、別の記事に書きます。)
夫と私は、色々な本を読んだりしながら、娘をどう育てていくのか、模索中です。

夫との関係に変化

元々、夫の勤め先は遠いので帰りは遅く、休日も少なく、私の実家は物理的にも心理的にも遥か遠いため、娘が小さいうちの子育ては、ほぼワンオペでした。
夫を好きで結婚した訳でもないし、言動に腹がたって仕方ないこともあります。
今でも好きにはなれません。
基本的に、必要以外は話しません。

しかし、娘が中学生になってから、夫婦で相談しなければ乗り越えられない問題が山積みになりました。
将来、どんな職業で生活していくのか、社会の中で生きていくために必要なスキルをどうやって身に付けさせるのか。
私達には娘に残せる財産や親類等の命綱は有りませんので、精一杯育ててやることしかできません。
[親は無くとも子は育つ]は、[犯罪者になっても構わないなら]の話だろうと思います。

自分の力で人生を切り開いていく意思と能力を娘に身に付けさせるため、どんなに嫌でも、夫と協力しなくてはならなくなりました。
私は過去に離婚していますが、今、娘のことで夫と協力していると、娘が一人立ちするまではまた離婚することは出来ないと実感しています。

[子はかすがい]は、事実でした。

はじめまして

はじめまして。かあちゃんの裏側です。
Twitterでは文字数が足りなくなったので、ブログを作ってみました。
思った事を、書いていきたいです。

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